牛来コラム
出逢いってすばらしい
さまざまな出逢いを通じて、得たり感じたことを、牛来ならではの視点で書き綴るコラム。 仕事上だけでなく、人間として大切なメッセージを伝えています。
2010.01.06
■初日の出
朝がめっきり弱いワタシが、今年の元旦は、珍しくパッと目覚めた。
時計を見ると、7時半。
初日の出が見られるかも!と、ベランダへ。
丁度、雲の合間に、昇る日の姿を拝むことが出来、なんだか清清しい気持ちになれた。
そういえば、子どもの頃、父と2人で初日の出を撮りに行ったことがあったっけ・・・遠い記憶がよみがえる。
確か、中学一年生の元旦。
瀬戸内海を見下ろす近所の丘に三脚を設置し、ファインダーをのぞきながらまだかまだかと待った。
そしてやっと出てきた日の美しさは、今でも瞼に焼きついている。
2010年。
今年の元旦は快晴とはいかず、あの日のようにはっきりとした日の出は拝めなかったが、雲の合間から射す光に、なんとなく希望を感じた。
昨年の厳しい一年を打開し、今年はきっと明るい結果が出る。
そうイメージできた初日だった。
もしかしたら、無理があるかもしれない。
雲の合間から射す光は、見方によっては「どんよりとした暗い日の出」と言えるかもしれない。
しかし見方によっては「一筋の光」にも見えるのであれば、わたしは敢えて、そういうふうな見方をしたいと思うのである。
【gorap語録】
見方は、幾とおりも、ある。
2010.01.20
■夢が創る
久々に逢いに来てくれた女性が、わたしに言った。
「米国から来た知人が、広島のまちに降り立って『全く元気が感じられない』って言うのよ・・」と。
駅周辺だけではない。原爆ドーム周辺の繁華街や宮島にも行ったにも関わらず、なのだそうだ。他の都市も見てきたらしいので、「日本が」ということではなく、「広島が」であることは間違いない。
その話を聞き、先日、世羅町の成人式で講演した時に語った内容を、思い出した。
何の夢も無く、勝手に自分の限界を決め「なれない」「できない」と、トライする前から諦めていた、20代の頃。
何から始めればよいかもわからず、とりあえずアンテナにひっかかるものを、やってみた。
その結果、同じ年頃の、しかも同じ子育て中の女性たちがイキイキと生きている姿と出逢い「わたしもあっちに行ける、行こう」と思え、一歩を踏み出した。
できるか、できないか、決めていたのは、自分自身だったのだ・・・。
当時の自分を思い出し、新成人たちを前に「夢を持つと人生が変わる」ということを力説。
締めの言葉に、益々力が入った。
「今、こうして、この会場に居る150人の成人みなさん、その、一人ひとりが、この場を、この空気を創っています。これが、違う150人だったらどうでしょう?また、違う雰囲気になっていたでしょう。
これを、世羅町に、広島県に、日本に広げて考えても、やはりそれは同じはず。会場に居る一人ひとりがその場を創っているように、社会を創っているのも"人"。わたしたち一人ひとりが、その場を、社会を創っている。すなわち、わたしたち一人ひとりの夢、そして行動が、未来を創っているのです」
文字にすると気恥ずかしいが、その時は伝えたい一心である。(笑)
そしてこれは、決して新成人だけではなく、我々にも言えることだと思うのだ。
広島のまちは元気が無い、と言わせているのは、誰でもない、わたしたち一人ひとり。
「あなたの夢が、未来を創る!」
成人式に選んだそのテーマを、私たち大人に、そのまま贈りたい。
【gorap語録】
たまには、バカみたいな夢、見たっていいじゃんか。
2010.02.03
■失敗上等
広島SOHO'クラブ設立当初、交流会で、変わった人に出逢った。
「ボクはバカです」と書いたA4サイズほどのダンボール紙を、首にかけ、その男性はニコニコ笑いながらわたしのほうへ・・。
「ヘンな人~(~~;」と思いつつ挨拶すると、珠算教室の経営者だった。
以来、交流会のみならず、二次会や、わたしの講演会にもこまめに足を運んでくれるのだが、逢うたびに感じるのは、世間体を気にしない、何か浮世離れしたような、不思議な空気である。
その彼から、このたび「フリーペーパーを出すので表紙に出て欲しい」という、執筆の協力依頼があった。
タイトルは「失敗上等」。
どんな内容なのか?全体の構成は?レイアウトは?原稿量は???
詳細の説明は何もなく、ただ、タイトルだけが明確だった。
モチロン、原稿料など無い。
それでも即答でOKしたのは、ただ純粋に思いを伝えたいという目的でこのフリーペーパーを発刊すると聞いたからである。
広告枠は無い。
よって、スポンサーも無く、すべて自腹。
そんな無謀なことを、思いつき、実現してしまう。
ふだんの彼からは、想像できないようなその行動力に、少し驚きつつ、逆に「彼らしい」とも思えた。
そんな彼の行動に脱帽し、わたしもギリギリまで本音を書いた。
ふだんはSOHO向けに書くメルマガの視点とは全く変え、もしかしたら牛来らしくないと思われるかもしれない自分を出せたのは、その人の、「失敗上等」に込めた思いに応えなくては、という気持ちからだった。
A3サイズのフリーペーパーの一面に、どアップで、デカデカと掲載された顔写真は、ありのまんまの姿が包み隠さず写し出された、決してごまかしの効かないものだけれど、「まっ、いいか」と思えるのはやはり、この「失敗上等」というテーマがあるからこそ。
どんな自分も、OK!
そんなメッセージが、このフリーペーパーから見えてくる。
【gorap語録】
そのまんま、で、いいんだよね。
2010.02.17
■多生の縁
福山に出張の折、福塩線(ふくえんせん)に乗った。
なんと、ワンマン列車である。
無人駅が多く、乗車券は降りる時に運転手に渡すため、一番前の扉からしか降りられない。
前回、初めて乗った時は、降りようとした扉が開かないので、慌てて前の車両から走って降りたところ、そこは乗り口だったらしく、車掌さんに呼び止められて恥ずかしい思いをした。
今回は失敗しないゾ!と最初から前の車両に乗り込んだところ、ふと見ると、通路を挟んで目の前に、男子高校生が座っている。
ストレートの前髪を目の下あたりでギザギザにした、イマドキの子。
ちょっと腰をずらした座り方が、生意気な感じ・・。
と思っていると、次の駅で80才くらいのお婆さんが乗車し、彼の隣に座った。
するとなんと、その男子が、お婆さんに声をかけた!
「この間も、会いましたよね?」(私=心の中で「え!!!?」)
お婆さんは、しげしげと彼を見ている。
「この間、○○病院で会いましたよね?」
男子が言うと、
「ああ、あん時の!」
と、お婆さんは笑顔で答えた。
「毎日、病院に行くんですか?」
「いいや、一日おきよ」
男子はずっと、敬語で話しかける。
敬語でありながら、親しみを感じさせる、優しい喋り方。
仲良く話している2人を見ていると、こちらまで、あたたかい気持ちになってくる。
お婆さんも、嬉しそうだ。(私=心の中で反省)
袖振り合うも多生の縁。
偶然でほんのささやかな出会いかもしれないけれど、
お婆さんとの縁を一瞬のうちに繋いだ、その男子から、大切なものを教えられた。
【gorap語録】
どの出逢いも、きっと、必然。
2010.03.03
■思い出
ひな祭りには、毎年お雛様を飾り、近所の子を招いて、母の手づくりのバラ寿司で祝った幼少の頃のことを思い出す。
サラリーマンの家庭で、家族四人の社宅暮らし。贅沢をすることもなく、ふだんはどちらかというと慎ましやかな生活なのに、(当時は)お金持ちの子しかなかなか持っていないお雛様が、我が家にあった。
不思議なので、母に尋ねたことがある。
「お雛様は、たいてい、お母さんの親から孫へ贈られるものだけど、ウチはお婆ちゃんが亡くなってるので、買ってもらえない。それでもどうしても欲しかったので、自分で買った。とても高くて1万円もした(父の一か月分の給料)」とのことだった。
友だちの大きな家の広い座敷いっぱいに飾られた、七段飾りの立派なお雛様と比べると、五段飾りの小ぶりなお雛様は、友だちに見せるのが少し恥ずかしかったりした。
狭い家なので、この時期になると茶の間がいっぱいになって邪魔になる。
それでも、毎年、毎年、押入れから出して、飾っては、また納める、それを繰り返したのは、やはり女の子にとって、お雛様は憧れだったから。
お雛様の冠や、三人官女の食器具をこっそり人形ごっこに使ってみたり、美しい着物姿のお雛様の優しいお顔を、何時間も見つめていたり。
そして、節句の日を過ぎると、天気の良い日を選んで慌てて納める(いつまでも出しておくと婚期が遅れると言われるから)。
出すのはわりと簡単なのだが、一つひとつ毛叩きで埃を落とし、お顔や小物を大切に紙に包んで箱に入れる、その作業は、正直、面倒くさかった。それでも毎年、そうやってみんなで節句を祝った記憶は、今、この年になっても鮮明によみがえる。
仕事に追われ、そんな思い出さえ忘れていた自分にふと気づき、余裕の無い生活ぶりを反省した。
【gorap語録】
時には、昔のアルバムでも開いてみよう。
2010.03.17
■水に流す
高校の頃、長いスカートをはいて、軽く髪を染めパーマをかけた姿が、進学校では珍しかったらしく、所謂、ツッパリと言われる女子たちに目を付けられていた。(笑)
ある日、(漫才でよくある体育館の裏のような場所に)数人に呼び出されたが、こちらも負けず嫌いは半端ではなかったので、一人で対等にやりあい、事なきを得た。(爆)
卒業を目前にしたある日、その時の相手から、またまた呼び出され、今度は何だろうと恐る恐る行ってみると、なんとそのツッパリの子が、「あの時はゴメンネ」と可愛く謝るではないか。
その素直さというか、あまりに大きなギャップに、正直、ビックリ!
過去の嫌な出来事は一瞬のうちに、さっと消え去り、水に流せた。
仕事をしていると、いろんなことがある。
少々の事は我慢したり、考えて考えて言葉を選んで伝えたりetc。
いい大人なのでたいていはうまく立ち回るが、それが時折どうしても「許せない!」と思えるようなことに遭遇し、爆発。
そうなるとなかなか修復できないのが、大人の悲しいところ。
学生の頃のように、自分が間違っていたと思えば、素直になれるが、この年になると、なかなか自分の非を認めない、自分を正当化する、謝れないetc・・・性質が悪い。(自省)
それでも、いろんな人と付き合っていけるのは、その「人」としての部分ではなく、その人の「言動」の、その部分だけを許せないだけだから。
どんな人も人格全てが「悪」という人は、そうそう居るもんじゃない。
その人の、ここは認められないけど、でも悪い人ではないのよね。。
そんなふうに、許せない部分を互いに水に流し合うことができれば、世の中、もっと、素敵だと思う。
【gorap語録】
心にひっかかっている人がいたら、今すぐ逢いに行こう。
2010.04.07
■しあわせの条件
前日からの雨がウソのように朝から晴れ間が広がり、今年の広島SOHO'クラブの花見も、盛況に終わった。
太田川沿いに咲き乱れる、満開の桜は最高~
花に、酒に、酔いしれた夜。
その日の朝、ゴザとブルーシートを持って場所取りに行った折、満開の桜を見上げ、美しさに感嘆しつつも、ふと、足元にタンポポの花を見つけ、その健気な姿に心奪われた。
車道と歩道の間にあるわずかな地面に、根を張り、小さな小さな花を咲かせたタンポポ。
そこに居た誰もが、華やかに開花した桜を愛で、カメラのシャッターをきる中、誰に気づかれぬとも、こうして一生懸命に花を咲かせているタンポポ。
その姿を見つけ、心が動いた。
翌日。
運営委員の一人(新婚さん)と一緒に、借り物のゴザとブルーシートを返しに行く車中。お正月に、食あたりでダンナと二人で寝込んだという話を聞き、「大変だったね」と同情するわたしに、彼女は言った。
「いいえ。食あたりで一緒に寝ていられるなんて幸せだな~、と思ったんですよ・・。ああ、結婚したんだな、って感じて。。」
なんて素敵なんだろう!
どこか旅行に行ったわけじゃない、豪華なレストランで食事したわけでもない、ただ、一緒に寝込んでいる、そのことを、幸せと感じる、純粋な彼女の感性に、また、心が動かされた。
幸せは、自分の中にある。
だから、人を幸せにはできない。
誰かに幸せにしてもらうこともできない。
幸せにできるのは、自分だけなのだ。
【gorap語録】
その条件は、自分が決めている。
2010.04.21
■ひき寄せる
仕事に追われていると、お願いだから休ませてくれ~、と思うけれど、いざ暇になると、わずか2、3日で焦りが出てしまう・・・
このままずっと仕事が来ないんじゃないか、大丈夫だろうか、etc。
だが、イメージしたらそれが現実となる、と言われるではないか!
不安な気持ちをパッと振り払い、想像力を、プラスの意識に切り替えてみる。
深呼吸をしてリラックスし、自分の一番心地よい場所に居る時を想像する。
自分の部屋のソファに横になっている場面でもいい。
プールにプカプカ浮かんでる場面でもいい。
わたしの場合はよく、野原でハンモックに揺られる場面を想像する。
そして、頭の中にさわやかな風が通り抜ける、そんな感覚になれたら、次は、過去の成功体験を思い出す。
テニスでスマッシュが決まった時のこと、
プレゼンが成功した時のこと、
いい仕事をして上司に褒められた時のことetc、
何でもいい。
その時の爽快な気持ちを思い出したら、その感覚のまま今度は、未来をイメージする。
これから起こるであろう、素敵な未来を。
「こうだったらいいな」
そんなレベルでいいので、自分が望む未来をイメージしてみる。
この時のポイントは、ガツガツしないこと。
そこで、わたしがよくやるのは「人を惹き寄せる」イメージ。
儲けてやろうとか、仕事を決めよう、とか、そういう感じではなく、
磁石に引き寄せられるように、人が集まってくる、というイメージ。
(「集める」ではなく、自然に「集まる」感じ)
微妙な違いだけど、そんなふうにちょっと意識を換えて過ごしていると、いい循環が起こり始めることを、これまで何度も体験した。
そのイメージを思い出し、また、今日も一日をスタートする。(^^)。
【gorap語録】
人、モノ、お金、すべてが循環している。
2010.05.05
■見返り
ゴールデンウィーク。
初日は仕事に出て、たまったデスクワークを片付ける。
しかしさすがに5連休ともなると、あと数日、何して過ごそう・・?
退屈だな~~、何しようかな~~~~
しばし、淋しさにふけっていたが、ふと、ひらめいた!
自分と同じように淋しい思いをしている人は、他にも居るはず。
自分のことばかり考えるんじゃなく、わたしが誰かにしてあげられることがあるんじゃないか?
両親の顔が浮かんだ。
「毎日、毎日、爺ちゃんと二人で、退屈なんよ。。。」
会いに行くと、いつもぼやいている母の言葉が思い出された。
父78才、母82才。
年老いた二人が遠くへも行けず、日々、庭仕事や公民館のサークルでそれなりに楽しんではいるが、きっと退屈な思いもしているだろう。
淋しくもあろう。
そしてそれは、わずか数日どころの話でなく、それこそ、毎日、毎日、続くのだ。 日ごろの親不孝を反省し、すぐに実家に電話した。
「連休中に泊まりにおいでよ!一緒にフラワーフェスティバルに行こう!広島で人気の美味しいレストランにも食事に行こう!」
出ベソの母だけでなく、病気がちな父も「楽しみじゃのう!」と即答で、まずは、ホッ。
ひらめいたら、いろんなプランが脳裏を駆け巡る。
フラワーフェスティバルに連れて行って、屋台の食べ巡りして、、
お洒落なカフェで休憩して、娘の勤める店に連れて行って、、
デパートで母の日のプレゼントを買って、、
疲れるだろうからデパ地下で美味しい惣菜を買って帰って夕食は家でゆっくりして、、
翌日は朝を軽めに済ませて、美味しいレストランでランチ♪
どんなコースだったら喜んでもらえるかな、そう思いながら、休みの過ごし方を考えていると、わたし自身が楽しくなってきた。
両親のために、一生懸命プランした二日間。
プランにはなかったが、フェスティバルの会場で、父が幼少まで住んでいた場所に立ち、当時の話を聴いたり、、、
レストランの帰りに、道端の花を眺めながら、木陰のベンチでしばし雑談したり、、、
そんな時間は、わたし一人では決してもてなかった。
楽しかった、楽しかった、ええ休日じゃった。と、喜んでくれる両親を見て、こちらも嬉しかったし、何より、楽しかったのは、わたしのほうである。
【gorap語録】
求めてばかりでは、見つからない。
2010.05.19
■呪い?!
いろんなビジネスがあるものだ。
呪いを代行するサービスがあるという!(呆)
自分が手を下すのは嫌なので、代わりに誰かに頼んでやってもらうということらしい。
代理を立てたってやることはやるんだから、どこかで気がひけるということは無いんだろうか!?
たいていは依頼しただけで気が済むとのことだが、そうだとしても、あまり喜べないビジネスである。
(良い行いはモチロンだが)
良くない行いは、必ず自分に返ってくる。
車を運転中、割り込もうとする車を入れてあげなかったら、次に自分が急いでいる時に、なかなか道を譲ってもらえなかったり。
ゴミ箱が見つからず、ゴミをどこかに置いて帰ったりすると、入った公衆トイレが汚くて嫌な思いをしたり。etc
そんな軽いものばかりではなく、この人、居なければいいのに!なんて思ってしまって、それが本当に現実になるという重たいことまで。
人間だもの、いろんな思いが湧くこともある。
いけないと解ってはいても、自分の中の悪魔ちゃんが、ひょっこり顔を出してしまうことは、きっとある。
しかし回りまわって自分に返ってくると思えば、そうそう軽はずみなことは出来ないはず。
いつも清らかな心でいようなんて難しいけれど、悪魔が出てきそうな時は「出てきちゃダメダメっ」と急いで払拭し、良いイメージに切り替える。
それを繰り返していると、いつかきっと心の底から清らかな、天使のような人にもなれるのではなかろうか。。。
【gorap語録】
全ては自分に、返ってくる。
2010.06.02
■忘れる力
姉が白内障の手術をしたので電話すると、かなりショックを受けている様子。今回は片目だけで済んだけど、二度目はゴメンだ、と、姉。
同じ手術をした経験のある父や母から
「簡単じゃったよ。もっと早くにすればよかった」
と聞いていただけに意外だったが、確かに、局所麻酔で意識のある中、眼球にメスを入れると考えただけでも血の気がひく。。
「あの人たちは、若い頃から、私たちが想像できないくらいの苦労や経験をしてるから、それに比べたらなんともないのよ、きっと・・」と姉は言うが、そうかなぁ??そういえば私たちだって、出産の時は大変だったじゃん!と思い出した。
一人目を産んだ直後は「もう二度と産まんっ!!」と言うほど痛い思いをしたのに、1年経つと、そんな苦しい思いもすっかり忘れ、二人目を産んだのは、姉も私も同じ。今はそんなことを言っている姉も、一年もすれば、ケロッとしてまた手術を受けているかもしれない。(笑)
痛みは、時に、心にも起こる。
心に受けた痛みも、身体と同様、少しずつ薄らいでいく。
時折、ズキっと痛みを思い出しながらも、時と共に確実に忘れていく。
苦しいことも、悲しいことも・・・。
だから人は生きていけるのだ。
「忘れる」というのは、人間にとって必要な能力の一つ。
以前、誰かに、そう教わった。
【gorap語録】
思い出せなくても、いいんだよ。
2010.06.16
■役割
夫の母が他界した。
子や孫や兄弟が見守る中、痛がったり必要以上に苦しむこともなく、安らかに逝去したのは、せめてもの慰めだった。
葬儀社の車が迎えに来るまでの間、長年お世話になった特養の職員の皆さんが、義母の眠るベッドまで挨拶に来てくださり、
「『これ、息子の嫁なんよ』と、新聞記事を見せてくれたものです」と、思い出を語ってくれた。
20年ほど前、くも膜下出血で倒れて生死をさまよったが、手術を受け無事回復。その8年後には脳梗塞で倒れ、術後はリハビリに励んだが、頑張りすぎて転倒し大腿骨を骨折。以来、車椅子の生活となり、ここ特別養護老人ホームでお世話になることとなった。
選択肢は、他にもあった。
「なんで家で看んのんか」と、親戚たちには言われた。
仕事を辞めて自宅で看ようか、と、夫に話したこともある。
しかし結局、特養のお世話になることを決めた。
あれからもう、10年・・・。
慌しく葬儀の準備に追われる中、葬祭会館の控え室でやっと一息し、義母に手を合わせた瞬間、これまでの思いが溢れ、涙がとまらなかった。
特養に初めて連れて行った日、一緒に施設内を見学して周った時の、義母の無邪気な顔・・
面会に行くと「ありがとう」と言ってくれたあの笑顔・・
言いたいことはきっとあったはずなのに、愚痴一つこぼさず、そこでの生活に楽しみを見出してくれていた義母。
おかげで、わたしは精一杯、仕事に専念できた。
この10年間、たくさんのことが出来た。
その陰には、義母がいる。
理解ある義母であったおかげで、今がある。
それに気づかされ、義母への思いで胸がいっぱいになった。
【gorap語録】
人は、知らずしらずに、支えられている。
2010.07.07
■目標
東京出張の折「nakata.netcafe」(7/19まで期間限定)へ立ち寄った。
現役引退後に世界を旅し、
「わたしたち自身のために、そして地球の未来のために、
自分の『なにかできること、ひとつ。』から始めよう」と、
誰にでも参加できそうな、身近なイベントを次々とカタチにしている中田英寿氏(以下、ヒデ)の活動は、SO@Rの目指す姿とも重なり、気になっていた。
現在は、全国を旅し、日本の良さを伝える活動も始めたヒデ。
カフェには、中田英寿絶賛カレーや讃岐うどん、やんばる島豚など、ヒデが全国を回り見つけたレアなメニューが、ずらり。
まだ数は少ないが、各地の伝統技術を生かした「nakata.netcafe」オリジナル商品もあり、その展示コーナーに、広島県呉市の川尻筆(=「中田英寿」の名入り)を見っけ! 嬉しくて、思わずスタッフに許可を頂き、写真を撮った。
間伐材で作ったコースターやUSBメモリー、和紙で作ったメモ帳など、将来は、発展途上国とも連携した商品開発を目指している、SO@Rのモノづくりプロジェクトの参考にと、つい、アレコレ購入。
帰広し、仲間たちとぜひ広島にヒデを呼ぼうー!と盛り上がった。
そして先日、起業家たちとのトークセッションの折、その場のノリで、「2年以内に、中田英寿氏を広島に呼びます!」と公言し(てしまっ)た。
(その場の思いつきだが)実は、たくさんの人の前で宣言することで、意識的に自分へのプレッシャーをかけたのだ。
言ったからには、後には引けない。(笑)
しかし不思議なことに、思っていたら、必要な人にどんどん繋がっていく。
目標の中にまた一つ、新たな楽しみが加わった。
【gorap語録】
単に「やりたいから」が、始まり。
2010.07.21
■再会
SOHOのための共同オフィスを、たった30坪からスタートして、今月おかげさまで、丸9年を迎えた。
古いビルのワンフロアに、10名の入居メンバーが集まり、床を磨き、中古の家具や備品を運んだ9年前のあの日・・。
汗だくになりながらも、何かが始まる時のワクワク感や、活気、期待、新鮮な気持ち、いろんなものがそこにはみなぎっていて、皆の表情がとても眩しかったのを、今も鮮明に覚えている。
9年を経、数十人の会社に成長している人や、東京で活躍している人、今でもしょっちゅう逢って一緒に飲んだり、仕事をコラボする仲間等さまざまだが、疎遠になっていた一人と、先日、4年ぶりに再会した。
実は彼は、4年前に大きな事故に遭い、以前のようには仕事の出来ない状況にある。 「面会が出来るようになった」と聞いたのは、事故後1年も経った頃だったろうか。彼のパートナーから、事故直後からの様子をずっと聴いていたので、逢える状態になったら手渡そうと思い、折り始めた鶴だったが、その後、なかなか機会をつくれず、色褪せてしまった。
週に一日は会社に出られるようになった、という状況を聞いてからは1年も経つだろうか・・・。
逢いには行きたい。しかし逢えばきっと泣いてしまうのが正直怖くて、なかなか行けないでいた。
一目逢った瞬間、きっと号泣してしまう。そんな姿を見せることが、彼に何か悪い影響を与えてしまうんじゃないかetc。
あれこれ考えつつ、ずっとずっと気になっていた。
それをこのたび、仕事に絡めて、ようやっと逢う機会をつくった。
ドアを開けた瞬間、車椅子に座った後ろ姿が目に入った。
そして振り向いた彼の表情は、わたしの想像を(良い意味で)裏切り、以前と変わらぬ、明るく優しい、人なつっこい笑顔だった!
凄い!すごい!!!!!
嬉しくてうれしくて、嬉しさと懐かしさとが入り混じった満面の笑顔で、彼と話ができた。
とても不思議な感覚だった。
彼がここまで回復したということが、ただ、ただ、嬉しかった。
彼の笑顔が、9年前と同じように眩しかったのが、ただ嬉しかった。
【gorap語録】
ここに居る。ただその幸せに、感謝する。
2010.08.04
■夏の思い出
仕事へ向かう道。蝉があんまりうるさく鳴くので、ふと見上げると、金網に、蝉の抜け殻が2つ。
そうか、世間は夏休みなんだっけ。
懐かしい思い出がよみがえった・・・
小4の夏、一人一研究テーマは悩んだ末「昆虫採集」に決定。女の子には珍しい選択だったが、やり始めると面白くなって、毎日のように虫取り網を手に山へ行き、蝶やトンボを追いかけた。
綺麗な姿で標本にするには、蝶は羽を開いて虫ピンで固定し数日置く。
トンボは色が変わらないよう内臓をキレイに取り出し、同様に。
すごいでしょー♪と友だちに見せるが、たいていは「気持ち悪い~」と言われるので、不思議だった。
蝶であろうが蛾であろうが、庭に入ってきた虫を見たら、食事中でも網を掴んですっ飛んで行くワタシを見て、近所のオバちゃんたちも、虫を見つけると必ずワタシに教えてくれるほどになった。
そうして集めた昆虫は、大きめの菓子箱のふたをくり抜き透明のセロハンを張った手作りのケースに綺麗に並べ、二学期には大きな風呂敷に包んで自慢気に学校に持って行った。
そんなある日、父に連れて行ってもらった科学センターで、小学生の昆虫採集の標本が市販の立派なケースに幾つも並んでいるのを見て、
「わぁー、かっこいい~!!!」
と、その"ケース"を、ため息交じりに眺めた。
高価なケースは、無論、買ってもらえるはずもないと、子どもながらに知っていた。 手製のケースに引けを感じることもなく、翌年も、そして翌々年の夏も虫取りを続けるワタシに、ある日、父からプレゼントが・・・。
開けてみると、標本ケースが2箱。
(既に2箱では入れきれないほど、たくさんの標本を集めていたが)
嬉しくてうれしくて、飛びあがって喜んだ。
懐かしいそんな記憶を、蝉の抜け殻が、思い出させてくれた。
【gorap語録】
たまには、空を、見上げてみよう。
2010.08.18
■もう一人の自分
独立して2年くらい経った頃だろうか。
当時アラフォーのわたしは、プランナーとしての経験を程よく積み、いわゆるアブラののった(?)真っ只中。
昨日は4時間、今日は3時間しか寝ずに企画書を仕上げたなんてことがカッコいいと思い込み、昼夜を構わず仕事する。
仲間から「男前のオンナ」なんて言われて、今思えば少し調子に乗っていた時期である。
ある日、長年お世話になっているクライアントのオフィスで、副社長と役員に、大声でガンガンと説教してしまった。
「そんな計画はあり得ませんよっ!!!」
「それで利益が上がると思ってるんですか!!?」etc
相手の立場が上だからこそ正義感が働き、強い口調になってしまった。
彼らの会社のことを思う余り、熱くなりすぎつい言い過ぎたのだ・・。
自分の意見は正論だし非は無い、少しも悪いと思わなかった。
むしろ、必要なアドバイスをした自分を「できる人」と思い込んで、
のぼせていた。
そんなわたしに、数週間後、同社の社長がこう告げた。
「副社長は、もう貴方と仕事をしたくないと言っています」
一瞬に目が覚めた。
何を思い上がっていたのだろう・・・。
うつむいて一言も言い返さず、ただ、黙ってワタシの話を聴いていた副社長と役員さん。
いたたまれない表情でその場に居た社員さんたち。
あの時、皆がどう感じていたのか。
自信過剰に上から目線で、鼻高々に言い放った自分の姿を思い出したら、顔から火が吹き出しそうだった。
あの時、もう一人の自分が、ちゃんと自分を見ていれば・・
そこにもう一人、客観的な自分が居合わせていれば・・・
伝え方はもっとあったはずなのだ。
【gorap語録】
3人で話す。そこに2人しか居なくても。
2010.09.01
■名前は高い
ウルトラマンから、団扇(うちわ)が届いた。(^^)/
何かというと、自称「ウルトラマン」=ライフプランナー和田さんからの季節の贈り物だ。
ただの団扇ではない。両面に「牛来千鶴」と名前が入り
「開運招福」の文字入り。つい笑顔になれる嬉しいプレゼントである。
彼から頂いた団扇は、実はこれで3本目。毎回、デザインも違う。が、そこに必ず、名前が入っている。
1本目はもう5年以上も前だったろうか・・
端が擦り切れ、色も変色してしまったが、なかなか捨てられない。
また先日は、飲み会の折、起業家の仲間がSO@Rのロゴ入りのワイングラスや、グラスマーカー、コースターをプレゼントしてくれた。
つい嬉しくて、周りに見せびらかして回った。(笑)
名前とは、それほどのものである。
15年も前に受けた接遇研修で、いつもは優しい口調の女性講師が、研修中に突然、
「名前は高いんです!」
と、ドスのきいた太い大きな声を張り上げた時は、何が起こったのかと思うくらいビックリしたが、そのくらい強烈なインパクトで伝える必要性のあるのが、「名前」なのだ。
おかげで「名前」がいかに重いものかが脳裏に刻まれた。
にも関わらず、先日、訪問した企業さまを、間違えて誤った名前でBlogに掲載してしまった。
往復4時間以上運転し、疲れきって帰宅した直後に書いたものだった。
・・・だとしても理由にはならない。
もうベテラン。
そんな気持ちがつい心の緩みとなり、ミスを犯す。
それも何度か経験済みなのに、また繰り返す。
いくつになっても、反省の連続である。
初心、忘れるべからず。
基本に立ち戻るのに、歳は関係ない。
【gorap語録】
まだまだ、成長途中。
2010.09.15
■意外性
「ありがとうございました」
不意に言われ、なんだか意外で、心地よかった。
ふだんあまり行かないスーパーで、慣れない駐車場に車を停め、買い物を終えて車に戻った時のこと。
こちらに背を向ける位置で車を誘導していた駐車場係のおじさんが、ワタシが車に乗り込もうとしたその瞬間、さっとこちらに顔を向け、「ありがとうございました」と、さりげなく言ったのだ。
立ち位置から、ワタシは彼の死角に居ると勝手に思っていた。
(失礼ながら)CSに力を入れていることも無さそうな、”安い”が売りのスーパーである。
予期していなかったので、一瞬、リアクションに困った。
言葉に詰まり、かろうじて会釈を返した。
(大袈裟と言われるかもしれないが)背後にまで気を配り、見えていないと思っている相手にまで、無視することなく声をかけたその人のことが、しばらく気になり、アタマを離れなかった。
どんな業種にも言えることである。
予期していなかったサービス、思いがけない提案、期待以上のコストパフォーマンス、想像以上の美味しさetc。
意外な出逢いに、人は心動かすのである。
【gorap語録】
できることは、まだある。
2010.10.06
■本心
ひろしまはたらくプロジェクト「ひは。」(※)の一環で、契約社員を数名受け入れた。
その中の一人、農業者にもカッコいいユニフォームを作って子供たちが憧れるようなファーマーブランドを立ち上げたいという夢を追いかけている男性が、その日は、風呂敷包みを大事そうに抱えて出社してきた。
中には奥さんの手作りのカップケーキが、スタッフの数ほどぎっしり詰められていた。
添えられたカードには、「本当に本当に本当にお世話になっています。感謝の気持ちをどう表現していいかわからないくらい感謝の気持ちがあふれています・・(省略)・・」というメッセージ。
わずか数行の中に、奥さんの思いが、ひしひしと伝わってきた。
よく、若い人から「お礼メールを書いてはみたが、どうもイマイチ。
アドバイスがほしい」「スピーチが苦手。どうすれば上手くなれるか」と相談されることがある。
要は、本心を伝えているかどうか、だと私は思う。
いくらビジネス文書の例文を真似ても、いくら美辞麗句を尽くしても、そこに心が無ければ、ただ読み流されるもので終わる。
少々言葉づかいが間違っていても、たとえ誤字があったとしても、自分の心の中の言葉を素直にそこに書き綴った文は、読む者の心に残る。
すらすらと饒舌に語るセールスマンではなく、木訥とした語り口のセールスマンのほうが信用できる、というのと似ている。
そう思うと、私自身、人前で喋るのが苦にならなくなったという経験もした。
飾らず、本心を伝える。
すると、言葉が生きてく。
(※)ひろしまはたらくプロジェクト「ひは。」
ソアラサービスが広島県緊急雇用対策基金事業を採択しスタートした、クリエイティブ人材の養成排出プロジェクト。
120名の求職者を企業に繋ぐことを目指しています。
【gorap語録】
心の中を、表現しよう。
2010.10.20
■修行
「たとえ明日死のうと、1年後に死のうと、何の悔いも無い」
人生の大先輩と酒を交わしながら、生意気にもそう言い放つと、その人は「まだまだ青いな」というような眼でわたしを見た。
意外なリアクションに「Sさんは違うんですか」と訪ねると、
「うーん・・・向こうに、壁が見えとるんですなぁ」と、ひと言。
かねてより書物や偉人から「日々、精一杯生きていれば後悔は無い。一日一日を、全力投球で生きよ」と学び、「その通りだ。そんな人生を送りたい」と信じて疑わなかったワタシ。
「神さまに一番近い人」と尊敬しているS氏から、まさかそんな言葉を聞くとは想像もしていなかった。
正直びっくりした。
どこまでも続く壁を臨みながら進む人生とは、どんなものだろう。
きっとそこには、ワタシなんぞには想像もつかない感情があるんだろうな。そこに行き着くには、まだまだワタシには経験が足りないんだろうな。
「日々精一杯生きていれば、後悔は無い」と悟ったような気になっている自分が、次に進まねば理解できない感情があることを知り、未熟な自分を恥じた。
また先日は、姉の舅の通夜に参列した。
姉やワタシが結婚した20代の頃、現役の町会議員として第一線で活躍し人生を熱く語った故人を思い出した。
参列する孫たちはその頃のワタシの年を既に超えている。
まだまだと思っている人生の終わりは、そう遠くもないんだなぁ、と自分のお葬式を想像した。
その時、家族はなんと言ってくれるだろうか。友人は?
近所の人は?同僚は?・・・
壁を臨む時が来るのか、来ないのか。どうであれ、結局のところ今は、精進を続けるしかなさそうだ。
【gorap語録】
人生は修行。今を精一杯、生きる
gorap pick up!
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