牛来コラム
出逢いってすばらしい
さまざまな出逢いを通じて、得たり感じたことを、牛来ならではの視点で書き綴るコラム。 仕事上だけでなく、人間として大切なメッセージを伝えています。
2002.01.09
■苦難
行きつけの美容院のオーナーが言った。
「今年もまた、苦難の年になりそうだね」
・・・そうかなぁ?仮にそうだとしても、それを経験した後にはきっと、上昇の時が来る。そう私は信じたい。
誰しも生きていれば、突然、思いもよらない出来事に襲われ、人生最大の苦しみに直面することもある。リストラ、倒産、大病、離婚、身近な人の死など・・・。
その人に乗り越えられない苦しみはやって来ない。でも、直面したその瞬間は、やはり誰だって目の前が真っ暗になり、深い悲しみと不安に覆われてしまうものだ。
私自身、これまでにそんな苦難をいくつか経験してきた。
10年前、原因不明の微熱が続き精密検査を受けた結果は、なんと難病という診断。聞いたこともない病名を告げられ、医師の深刻な表情を見た時、私は覚悟を決め、尋ねた。
「何を言われても私は大丈夫です。隠さず、本当のことを教えてください。わたしには幼い子供が2人居ます。もし私に何かあるのなら、それまでに、この子たちが自立して生きられるように今から育てねばなりません。この病気の死亡率は?その時期は?他にどんな弊害が出ますか?他には?・・・」
一言ひとこと、喉の奥からようやく押し出した私の言葉に、医師の返事は私を打ちのめす以外の何者でもなかった。死亡の可能性もある難病と宣告された事実に、「子供たちをどうしよう」という不安と、「どうして私が?」という悲しい問いを繰り返しながら、帰り道、車を運転しながら泣き続け、そして一晩泣き続けた。
そしてある点まで達した時、フッと意識が変わる不思議な瞬間があった。「気を取り直す」という言葉は本来こういう時の感覚を言うのかもしれない。「しっかりせねば」「悲しんでいる間があるなら、子供たちに生きるすべを教えなくては」。母としての気力が、私を、"病を受け入れる"ということに導いてくれた。
難病という事実は今さらどうしようもない。後ろを見て悲しんだところで、治るわけではない。それならそれを素直に受け止めて、次のことを考えよう、と。
当時、まだ3歳と6歳の子供たち。万一、自分が死んでも、この子たちが困らないために、まずはご飯の炊き方から教えよう。お風呂の洗い方も、洗濯も、それから、それから・・。
考えていたら、自分のことなどどうでも良くなってきた。
そんな瞬間があって後、数ヶ月間病院に通ったある日、医師が私に言った。「おかしいなぁ。数値がマイナスになってますよ。」
その次の検診でも陰性。その次も。
難病と診断され、治る可能性は極めて低いと言われたにもかかわらず、どうしてだかわからないけど、私の身体は元の元気な身体に戻っていた。不思議・・・としか言いようがない。でも、事実、治ったのだ。
その人に、乗り越えられない苦しみはやって来ない。
たとえ、大病にかかろうと、倒産しようと、大切な人が亡くなったとしても、素直にその事実を事実と捉え受け入れることが、私たち人間にはできる。そしてその苦しみや悲しみから、私たちは何かを感じ、学び、得ることができる。同時に、全ての出来事には必然の意味がある。苦しみが目の前にあって辛い時、わたしは思う。
「でも私には、目が見えるじゃないか。耳が聞こえるじゃないか。歩けるじゃないか・・・」
なんでもない、当たり前の幸せを、かみ締めてみる。
【gorap語録】
幸せは、自分の中にある。
2002.01.23
■評価
組織で年俸制で働いていた時、会社の人事評価への不満を経営者にぶちまけたことがある。会社から提示された年俸の「額」が不満だったのではない。その「評価基準」に納得がいかなかったのだ。そして、その評価基準から算出された、言わば「額で表された自分の評価」に不満があったのだ。
すなわち、自分が思っているほどは認められていない、というのがただ悲しかったのだ。
人事評価ほど難しいものはないと私は今でも思っている。
人を評価するなんて、全ての人に適正に出来るはずはないのだ。だから、前述の場合は会社が間違っているとは思ってもいないし、だからといってその評価が正しかったとも思っていない。ここで言いたいのはそんなことではなく、
「人は、認められたいのだ」ということだ。
そう。誰だって、できれば誤解は解きたいし、不当な評価に対しては異議を唱えたいもの。100%の人に認めて欲しいのがホンネなのだ。・・・しかし、そうはいかないのが現実。だって、人によって価値観も、感じ方も、求めるものも違うのだから。
例えばピラミッドを側面から見た人は「三角だ」と言うだろうけど、真上から見た人は「四角だ」と言う、それと同じ。いいとか悪いとかではなく、ただ確かなのは、答えはひとつではない、ということ。
視点や立場が変われば、答えも変わる。
日々の生活の中で、認めてもらえなくて辛い時、自分に言い聞かせる。そして、知人に教わった1:8:1の法則を思い出す。「10人居れば、その内1人は自分が努力せずとも自然に仲良くなれる人。8人は自分次第でどちらにもなれる人。そして、自分がどんなに努力しても、どうしても合わない人がその内1人は居る」。
ああ、そうなんだ。どうやっても合わない人が居て、当たり前なんだ。10人中1人くらいは自分を認めてくれない人が居て、あたりまえなんだ。
そう思ったら、なんだか心が軽くなるから不思議。
【gorap語録】
認めてほしい。それが人間。それが苦悩。
2002.02.06
■人肌
メールを始めて、人間関係が広がったことには感謝するこの頃だが、メールでの仕事のやりとりに慣れてしまって、つい「メールだけで」済ませてしまい、失敗したという話を耳にすることがある。
どんな便利な時代になろうと、最後の大切な部分、それだけはメールだけでは済まされないものが必ずあると私は思う。
数年前、東京のチームと大きなプロジェクトを組んでいた時、私信メールのほか、メーリングリストやイントラネッツを利用したやり取りがメインだったが、週に一度は必ず電話会議で広島と東京の合同ミーティングを実施し、メールだけでは伝えられないニュアンスを、(顔は見えなくても)実際に話をするということで確認しあっていた。そして、コンセプトワークなど重要なテーマの時は、私たちが東京へ行くか、或いは彼らが広島に来るかして、実際に逢って話をするのが常だった。
言葉だけでは伝えられないものがある。と、私は思う。
言葉を読むだけでなく、電話でその言葉の抑揚を聞き、アクセントを聞き、喋る人の雰囲気を感じることで、イメージは何倍にも広がる。また、直接逢うことができれば、視線や、表情や、しぐさから、その言葉に隠されたその人の気持ちまでも感じ取ることだってできる。
どんな便利な時代になろうと、最後の大切な部分、そこだけは、メールだけでは済まされない部分が必ずある。言葉だけでは伝わらない何か。それは、人と人が、逢って、目を見て、初めて感じるもの。生まれてしまった誤解も、とにかく逢えばどうにかなることも少なくない。メールだけでの人間関係にとどまらず、直接逢って話をすることで、その人との距離はグッと近くなる。
これが、人肌の距離。
【gorap語録】
言葉にならなくても、逢えばきっと伝わる筈。
2002.02.20
■価値
「最も大切なのは、レーティングよ!」と彼女は言い放った。
東京でのディレクター養成講座で、ゲスト講師として招いた日本アイ・ビー・エム(株)エグゼクティブ・プログラムの尾崎紀子さん。
「レーティングとは価値判断、価値付け、評価。"価値判断できる眼や耳や感性を持つ"これが、他より抜きん出る極意!
自分の価値、一緒に仕事をする人の価値、商品の価値、情報の価値、技術や実力の価値(=レベル)、の判断ができないと、全てミスジャッジになる可能性もある。また、さまざまものへの自分なりの価値付けができるようになるようになれば、いろんな人・モノ・事・状況等が見えてくる」
そう言い放つ彼女自身のレーティング能力が、まさに凄かった。
OA専門SEとして、OAアドバイザーや各種講習・講師養成、イベントプラング他を行い、マーケティング部門で様々な企画やコンサルティングを手がけ、ECショッピングやTV連動コンテンツなどのプロデュースを経験しただけの人である。サイト評価や、企画の捉え方、モノの見方など、とにかく鋭い!人脈も含め、全てが一流だ。
”本物”を知っている人にしかできないワザだと溜息が出た。
一方、その夜。
SOHO仲間のお母さんがやっているという松坂牛の店を尋ねた。東京都心からタクシーで20分。閑静な表通りに面したその場所は、中野区上鷺宮。こぢんまりと構えた店には、カウンターとテーブルの1セットだけ。
気さくな笑顔が自慢のお母さんが1人でやっている。
決して、上品な店ではない。
定食屋のイメージと言うほうが合っているかもしれない。
「下町ッ子」という店の名が、しっくりと似合っている。
看板料理は松坂牛ステーキ200g(ライス付き)3800円也。その肉の味わいといったら、最高!上等な肉を、長年の経験で焼き上げたその程よい焦がし加減といい、柔らかい肉の中にギュッと閉じ込めた旨みといい、素直に「おいしい~!!!」の一言に尽きる。ちょっと前だと、このステーキの生肉だけで2万円はしたという。そんな上等な牛の舌は、めったに手に入らないにも関わらず、特上の牛タンが僅か2000円で味わえるその店。
顧客は都内に限らない。先週は島根からも客が来たという。
なぜか?
それは、年金で生活するお母さんが、儲けることだけが目的ではなくやっているから。
長年の経験から、”本物”の上質の肉を選ぶ目を持っているから。そしてそこに、あたたかい心で誰をも受け入れる”本物”の笑顔があるから。
前者と後者、一見すると両極的な商売&生き方に見える。しかし、その本質は何ら変わらない。”本物”を持っている。
まさに、”レーティング”である。
【gorap語録】
自分の中に”本物”を一つ持つ。それが自信の源。
2002.03.06
■男と女
専業主婦だった私が働き始めてまもなく、私は結婚指輪をはずした。クライアントに「なんだ、主婦か」と見られるのが嫌だったのだ。
打ち合わせの日時を決める時、本当は子どもの参観日で都合が悪いのに「別件の会議が入ってまして・・・」と嘘の理由を言う。たとえ子どもが熱を出して幼稚園を休んでいても、大切な会議があれば子どもを置いてでも出掛ける。
「だから主婦はダメなんだ」とは言わせたくなかったのだ。
それでも私は、主婦でラッキー!と思っていた。
だって「主婦の視点」でプランした販促企画は、どのクライアントにも喜ばれたから。
結婚指輪は10年以上経った今でもはずしている。
主婦だということを喋ると最近は、「主婦だったんですか?!へぇ~驚いた。それなのに凄いですねぇ」と言われるようになった。家事や子育てをしながらよく活躍してますね、ということらしい。主婦で経営者というのが、まだまだ珍しがられる時代なのだ。ある意味、女でラッキー!とも言える。
かと思えば、「女を武器にできるのは30代までだよ」などと言われ、悔しい思いをすることもある。
武器ぃ?!
いや、しかし、確かにそうかもしれない・・・。異業種交流会に行けば、女は少ないからそれだけで目立つことが出来るし、人間の行動心理として異性に関心をもちやすいのは確かだろう。男性ならきっと、野暮ったい男性営業マンから話を聴くより、綺麗な女性から聴くほうがいいに決まっている。確かに女が得をする時代なのかもしれない。女でラッキー、そう思う。
しかし!
ビジネスはそう甘くはない。
ただ女性というだけで、大切な仕事を頼む人はいない。女の経営者が珍しいからというだけで、仕事を任せるという馬鹿もいない。たとえ最初のきっかけは掴めたとしても、仕事をとれるかどうか、チャンスをモノにできるかどうかは、その人の能力と人間力で決まる。女も男も関係ない。営業成績をグングン上げている人、会社を長く継続させている経営者、全てそれはその人の”力”なのだ。
「女で損した」と言うオンナはそれだけのオンナ。「女だから出来たんじゃない」と言うオトコはそれだけのオトコ。
・・・とかなんとか言いながら、そんなことにこだわっている私も、まだまだのオンナ。
【gorap語録】
男と女を超え”人間”として認め合う。それが最高!
2002.03.20
■誠実
とある町の、町おこしのアドバイザーの仕事でご一緒した大阪の工務店社長H氏。
年は50歳頃だろうか。日に焼けた浅黒い顔と、訛り混じりの朴訥とした話し方、一回りも年下の私のような者にも謙虚な姿勢で丁寧に頭を下げ名刺を差し出す姿からは、H氏の実直な人柄が一瞬に伝わってくる。
元々はゼネコンで経験を積み8年前に独立。社員を抱えず一人でやっているということなので、実はSOHOでもある。
パネルディスカッションを終え、帰路の車中。
このご時世に、新築からリフォームまで何件もの仕事が同時に動いているというので、「どうやって営業しているのですか?」と思わず問いかけた。「営業はしていないですよ」とH氏。「なるほど。きっといい仕事をされているんでしょうね。お客様が営業マンとなってくださるのでしょうね」と私。誠実にいい仕事をし、顧客を大切にしていれば、結果、そのお客様が後ろを向いて知人に広めてくれる、というのは、トップクラスの営業マンたちが口を揃えて言う言葉である。
感慨深そうに「そうですねぇ。」と頷いたH氏が、以下のような話しを続けた。
「施工中に撮っておいた現場写真を、完成時にアルバムにしてお客様に渡している。基礎づくりから骨組みの段階など、ふだんは施主が見ることのできない建築中の裏の写真を、全て写真に収めて報告する。その数なんと1500枚。経費にして6万円程度。これを、ずっと続けている。また、時にはお客様と喧嘩をすることもある。
でも、そうやって本気で言いたいことを言い合いながら進めることで、互いが納得して仕事を進められるし、結果、お客様の満足のいくものが出来る」
業種は違えど、仕事の根本においては皆同じ。
自分の仕事に置き換えながら、まさに同感!と相槌を打ちつつ、H氏の誠実な仕事振りを想像した。
ほんの短いふれあいの中で、その仕事振りまでをイメージさせたH氏。これこそ、本物の営業である。
【gorap語録】
人の器は、一瞬に伝わる。
2002.04.03
■継続
古い話で恐縮だが、小学校の卒業文集に「ねばりと根性」と書いたことを今でも覚えている。書きながら、自分は全然ねばりも根性もないヤツだな、と反省しつつ・・・。
あれから二十数年。
人並みに人生を送る中で、自分なりに少しは根性が鍛えられたように思えるけれど、まだまだ甘い部分が多くて反省することもしばしば。すぐに飽きて他のことに心が移る性格はそう簡単には直らないし、一つのことを永く続けることには、かなりのパワーが要る。
そんな私が、広島SOHO´クラブの本メルマガに執筆を続けて1年。創刊から、今号で25回目。振り返れば、いろんなことがあった。締め切りに追われ徹夜で書き上げることは珍しくもないが、徹夜続きのうえ体調を崩したカラダに鞭打って、やっと書き上げた原稿を朦朧として消してしまい、音を上げて発行を遅らせてしまったのは苦い思い出である。時には原稿への厳しいご意見を頂き、お叱りの言葉を頂くこともある。
それでもこうして執筆を続けるのは、伝えたいものがあるから。自分のやりたいことだから。
根性無しだった私が、やりたいことのためなら苦と感じることなく、続けられるから不思議。
その先のビジョンを見ていると、目の前の壁さえ励みにもなる。
こうして懸命にただ書き続け配信を続けることで、応援してくださる多くのかたにも恵まれた。何気ない励ましの言葉が次への活力となり、思いもかけなかったチャンスにも恵まれた。
一緒に編集に携わる有志たちの存在も大きい。全員がSOHOのプロフェッショナルで、誰もが多忙な仕事の合間をぬっての執筆と編集。自分一人ではないという責任と連帯感は、私に「続ける」ということを可能にしてくれた。
「継続」とは、「今、この瞬間」の連続。
今、この時、やり続けること。
明日でもあさってでもなく、次の機会でもなく「今この時」!この瞬間にできることをやり続けることにきっと大きな意味がある。今この時を生き続ければ、それはきっと大きな力となり、大きな影響をもたらす筈。
創刊から満1年。広島SOHO´クラブメルマガまだまだ続きます!
【gorap語録】
「続ける」。難しいだけに、得るものは大きい。
2002.04.17
■孵化
週末、ビットバレー五空運営委員の合宿で、三和の森に行って来た。五空とはIT系ベンチャーのためのNPO的組織。10名の運営委員はモチロン全員、拡大思考のパワフルな起業家ばかり。五空発の成功ビジネスモデルをつくる為のこの合宿は、1泊2日という限られた時間の中で、寝る間も惜しんでディスカッションし事業計画を作るというかなりハードなものである。
名づけて「五空温泉たまご計画」。
日頃の生活から離れ、温泉地など(三和の森は実は温泉ではない)で和気藹々とした楽しい雰囲気の中、真剣に討議し合い新たな事業を生み出す。それはまさに孵化(たまごがかえる)するごとく事業が生まれる、というイメージにピッタリ!という訳でそう呼んでいるのだが、もともとは福岡ビットバレーD2Kが始めたものである。
2000年8月に福岡D2Kと五空が共催した山口での温泉たまご計画も、中国・九州エリアから31名が参加し盛り上がったが、今回の三和の森も、とても刺激的な合宿だった。
各社の事業内容のプレゼンテーション後、全体でのディスカッションに続き、グループに分かれてのブレスト。短い時間の中でアイデアを企画に落とし込み、即、パワーポイントで仕上げて発表する。その頃は既に夜も深い。
軽く睡眠をとり、翌日も朝から別件の事業計画のビジョン作成。プロジェクターのスクリーンを前に全員でディスカッションしながら、その場でどんどん企画書にしていく様子は、初めての人には驚きの光景かもしれない。
そこには、めまぐるしいパワーと勢いが感じられる。
そんなハードなスケジュールをこなした週末が明けた今週。疲れが出るどころか、元気満々!やる気満々!爽快な気分で一週間がスタートした。広島に元気がない?!とんでもない。熱い思いを抱く元気なヤツらはたくさんいる。そのエネルギーを、もっと多くに伝えたい。そして「広島元気!」と言える成功事例をどんどん作りたい。卵がひよこに、そして鶏になるまで、先は長いかもしれないけれど、前を向いて信じて進む。きっとそれが成功への道。
【gorap語録】
刺激を感じる。その感覚がある限り、進歩する。
2002.05.08
■許容量
人は、自分でも気づかぬうちに人を傷つけることがある。
それは言葉や態度であったり、裏切りであったり。
そんな時、わたしたちはどれだけ冷静で居られるだろうか?
どれだけその人を許せるだろうか?
仕事の中で、家庭で、あるいは男女の仲において、人と関わるからには必ず付きまとう問題。永遠に信じ合えると思っていた人から裏切られた時、どれだけ相手の立場になって考え、代償を求めず、ただ許すことができるか?それはその人の器とも言えるかもしれない。
どんなにひどい仕打ちを受けても、どんなに辛いことがあったとしても、人は、人によって傷つけられるのではない。相手の言葉や態度や裏切りに対して自分がどう感じるか?それを自分が辛いと感じれば辛いし、苦しいと感じれば苦しい。いや、このくらいなんでもないと感じればなんでもない。傷つくのは人のせいではない。自分自身がそう反応しているだけなのだ。
そんなこと、アタマではわかっていても、なかなか身につかないのが常。愛すれば、愛されたい、そんな見返りを求めるのが常。
痛みに耐えかねて、もう二度と人を信じまいと心に決めたりするのが常。そして、そんな苦しみを幾つも乗り越えるたび、成長するのが常。
しかし、キャパを超えると大変なことになる。一杯になる前に、ちゃんと自分でセーブすればいいものを、ついつい無理していい人を演じようとするから失敗する。抱え込んで我慢ばかりしてないで、たまにはスコーンと息抜きしよう。
たまには思いっきり我侭してみればいい。いっぱい愚痴を言ったらいい。時には大声で叫べばいい。かっこ悪い自分を出せばいい。
心の奥底にあるモヤモヤを、すっかり吐き出してしまったら、きっと心が軽くなる。きっとラクになれる筈。
【gorap語録】
誰だって、弱いとこくらい、あるんだよ。
2002.05.22
■奮起
人は、切羽詰ったら凄いパワーを発揮するものだ。
締め切り間近にならないとエンジンがかからない、というのもその一つで、ギリギリになると、”気合”が入って、がぜん仕事がはかどるのはそのパワーかもしれない。
アイデアをめぐらせて、平凡な発想ばかり数出した後の、最後の最後の「もうここまで」と思った瞬間に、コレ!と思えるアイデアが出てくるのも、そのパワーかもしれない。
プランナーとしてまだ駆け出しだった頃、提案した企画が通って、数千万円のイベントの統括ディレクターを任された時、まさにそれを経験したことがある。
目の前の仕事は、自分の200%いやそれ以上の力を要求されており、応えるほかに選択肢は無い状況。とにかく、やるっきゃない!
私がやらなきゃ、誰がやるの?という、囚われとも言える火事場意識が、その時、私を動かした。
寝る間も仕事にあてイベントに向けて準備すること2ヶ月間。時には、夜中にガバっと飛び起き、冷や汗をかくような事態もあった。長時間の打ち合わせに、ぶっ倒れそうな日もあった。
様々な問題に対面しそれをクリアしつつ、総指揮を取り続け、当日は100名近くのスタッフを動かしたそのイベント。
大盛況に終え、スタッフと共に祝杯をあげ、やっと自分を取り戻すことができた翌朝は、仲間の顔を見るなり、ただ涙が止まらなかったほど、当時の私にはかなりのプレッシャーと責任に加え、物理的にもハードな日々が続いたそのイベント。
辛かった。助けて欲しかった。相談したかった。苦しかった・・・いろんな思いが駆け巡り、でもそれを成し遂げた瞬間に、風船がパンと弾けるように空気が抜けて腑抜けになってしまった自分がいた。
そこまで、自分を追い詰めた仕事だった。
追い詰められた時、人は成長する。
と、その時、私は実感した。
どうしてもやらねばならない状況に立てば、誰だって、なんとかしようと頑張れる。奮起して「やるぞ!」と覚悟を決めれば、だいたいのことなら実現できる。どうにかそれをクリアした後で振り返ると、その経験で、大きく成長した自分が見える。
そしてこの味をしめると、苦労がやりがいに変わる。このハードルを越えれば、またステップアップできると思うと、虜にさえなってしまう。虜になった自分がまた、何かを始める。
【gorap語録】
そのパワーは、誰にでもきっと潜んでいる。
2002.06.05
■距離
「人間関係、うまくいってますか?」
広島SOHO´オフィスを開設した当初はよくそう聞かれた。開設前から一緒に準備を進めてきた相棒なぞは「何か事件(?!)が起こらないかな~」などと呑気なことを言っていたが、その期待を裏切る(笑)平穏な日々は今も続いている。
心理学をちょっとかじったかたならご存知であろう”単純接触の原理”。いつも逢っていると相手のことが好きになる、という原理で、世間一般に職場恋愛が少なくないのはそのせいとも言われる。
”オフィスラブ”とはちょっと違うけれど、広島SOHO´オフィスの人間関係もそれに近いものがある。仲間意識、いや、一人ひとりはあくまでも”個”なのだが、互いを認め合い、何かあったら助け合える、そんなゆるやかな信頼の関係。いつも逢っているからこそ築ける、心地よい関係がここにはある。
”逢う”という行為が与える影響は大きい。
わざわざ電話やメールをしてまでは伝えないことも、傍に居ればつい喋ってしまったり、たとえ何も言わなくても表情から状況を察したり。そんな日々の交わりが自然に信頼に繋がっていく。
却って凶と出ることもありそうなものだが、広島SOHO´オフィスで未だそういう事件?が無いのは、”個”を尊重し認め合える自立した人が集まっているからだと私は思う。
SOHO仲間といつでも逢える場所が欲しい。逢う機会が増えれば、きっと可能性も広がる。そう信じて開設したSOHOの共同オフィス。オープンから半年経った今年の4月には、ワンフロアを増設し新たな仲間12人が加わった。総勢23人。様々な業種のSOHOが一堂に集まる場所。そこには、仕事はモチロン、たわいもない冗談やプライベートな話までがごく自然に飛び交う。
逢える距離がもたらした信頼は日々深まり、アライアンス(協業)も自然なカタチで生まれる。訪れるSOHO仲間の数も日増しに増え、企業からの仕事も集まりつつある。一つひとつは小さくても、集まれば大きな企業と変わらないことも出来る。そんなオフィス空間が、今、着実に育ちつつある。
【gorap語録】
傍に居る、ただぞれだけで伝わるものがある。
2002.06.19
■タイプ
どうもあの人、苦手なんだよね~。
長く人間やってると、そういう相手の一人くらい居るものだ。
それがクライアントだったりすると、タイヘン!うまくいく筈の仕事も、なかなか進まず辛い思いをすることも、時にはある。
エニアグラムは、何百年の歴史をもった秘伝の人間学。ギリシャ語で、「エニア」は「9」を意味し、「グラム」は「書(描)かれたもの」を意味する。人は生まれながらに9つの性格に分けられると考え、タイプ別の長所や短所を知ることで、自分を認め他人を認め、よりよい人間関係づくりに役立てるものである。
そのワークショップで、「自分の中に、グレーの部分はどれくらいあるか?」ということを語り合ったことがある。グレーの部分すなわち、"曖昧さ"を許せる部分。
タイプ別の違いはもちろんこれだけでは語りつくせない。が、人が自分と全く違う感情を抱いているということを知るには、わかりやすい方法かもしれない。
「グレーなんて、自分の中には全くない!白か黒に決まってる!」と言い放つ"タイプ8"、「90%くらいはグレー。その中に居るのが心地いい」と答える"タイプ9"、「グレーの部分と言われても、その時によって違うから、何パーセントかと聞かれても・・」と戸惑う"タイプ4"etc。タイプによって、その感じ方は全く異なる。
どちらが良くて、どちらが悪い、というのではない。
ただ、いろんな考え方や感じ方の人が居るのだということを知っているかいないか、そして自分と違うタイプの人を理解してあげられるかあげられないか、この違いは大きい。
レストランに入って、メニューを見てあれこれ思い悩む家族や恋人に対しイライラしている自分が居るとする。そんな時はスーッと深呼吸。「そういうタイプなんだよネ」と、余裕をもって待ってあげて欲しい。クライアントに、「どう思いますか?」と問いかけて、「う~ん・・・」と言ったまま空白の時間が過ぎたとしても、慌てずに次の言葉を待ってみよう。もしそこで痺れを切らして勝手に先へ進めてしまったら、クライアントの胸の内には不満がたくさん溜まって、最後にはパーンと爆発してしまうかもしれない。
人は自分とは違うのだ。
そう心に留めておくだけで、人間関係が、グッとスムーズになる。
【gorap語録】
誰にでも、囚われはある。それを繰り返すのが人間。
2002.07.03
■名前
嬉しいプレゼントをもらった。
”うちわ”。
それが普通のうちわではない。自分の名前入りだ。
江戸勘亭流書体で大きく「牛来千鶴」とデザインされている。
思わず声をあげて大喜びし、周りの皆に自慢して歩いた。
そのくらい、誰しも自分の名前というのは大切なものである。
かくいう私だが、人の名前を覚えるのは大の苦手。異業種交流会などで一度に大勢と名刺交換した時などは、顔と名前が一致せず後で困ることも少なくない。そんな時は、笑顔で当たり障りない話題を交わしながら、その方に自分の知り合いを紹介して名刺交換を促す。そしてその名刺をカンニングして、あたかも覚えていたかのようにあくまでも自然に会話を続ける(笑)。
オーソドックスだが、誰かがその方の名前を呼ぶのを待つという手もある。
恥ずかしながら、名前には、結構苦労している。
初めて名刺交換した際には、意識して何度もそのかたの名前を呼びながら会話をする。顔を見ながらその人の名前を何度も口にするという行動は、名前を覚えるのに効果的だからである。同時に、相手に親近感を与えることができる。ただ「部長さん」と呼ばれるより、「山田部長」と名前で呼ばれるほうが誰だって嬉しいはず。営業のコツとも言える。
逆に、自分の名前を覚えてもらうコツもある。
基本的なことだが、”はっきり””ゆっくり”名乗る。あたりまえのことだけれど、意外とこれが出来ていない人が少なくない。名刺交換や自己紹介の時に、名前が聞き取れない人も時に出逢うが、覚えてもらおうと思ったら、意識して名前だけを”はっきり””ゆっくり”伝える。そこで一言、機転の効いた説明をプラスできれば完璧。以前セミナーでご一緒した女性が、白い紙を見せながら「これは白い紙=ホワイトペーパーですが、私の名前は黒い紙=プラックペーパーの”黒紙(くろかみ)”です。よく”黒髪”と間違われますが、ペーパーのほうです」と明るく自己紹介された。その人の名前は6年経った今でも忘れていない。
【gorap語録】
”ほんのこれくらい”、その差は大きい。
2002.07.17
■プロ意識
「SOHOさんに仕事を頼んだら、胃の痛い思いをしたよ」
とある異業種交流会で耳にした、企業の方の言葉だ。仕事を依頼したSOHOが、進捗報告をこまめにしない人だったらしく、納品のその日まで、ハラハラし通しだったというのだ。
「スキルの高いSOHOが居るとは聞いても、実際にどんなレベルなのか、聞くだけではわからない」そんな言葉を聞くことも少なくない。IT化が進み、これだけSOHOの数が増えると、スキルも仕事の進め方も様々。まだまだプロとは言えないレベルのSOHOが企業から直接仕事を請け、マイナスイメージを広げてしまうケースは、広島のみならず、全国的にも問題点としてあげられている。
しかし、プロフェッショナルなSOHO仲間たちが、仕事に対して真剣に取り組み、例えば納期を守るためには睡眠時間を削り休日返上してまで頑張っている姿を目の当たりにしている私にとって、一部の人のマイナスイメージがイコールSOHO、と思われることは、納得いかない問題でもある。
SOHOに対する誤解を解き、マイナスイメージを払拭するために、やるべきことは多くある。SOHO予備軍たちの意識啓発や、技術的なサポート、SOHO同士の情報交換によるスキルアップ等、SOHO側への働きかけも必要。しかし一方で、プロフェッショナルなSOHOたちの存在を積極的に発信し、社会にアピールすることは、ここ広島において、急務だと考えている。
サイト上での展開等、発信の方法は様々だが、その活動の一つとして、この度「SOHO’SHOW」というイベントの開催を思い立った。自立したプロフェッショナルなSOHOたちが、各々の得意分野で参加し、楽しい雰囲気の中で自然なカタチで”プロ”を見せる。そんなイベント。
司会は英語で翻訳のプロが参加。パフォーマンスは、プロの落語家と、世界の最優秀新人賞に輝いたバルーンアーティスト。SOHOのロマン・スライドショーや、オープニングムービーの製作も、選曲も、ディレクターも、エンディングも、ナレーションも、ポスターの製作も、全てその道のプロのSOHOたちが手弁当で参加する、これまでにないカタチのイベント。
その第一回が、もうじき始まろうとしている。
【gorap語録】
見て、聴いて、感じる。その刺激は、本物。
2002.08.07
■選択
♪どーちらに、しーましょうか?天の神様の言うとーおーり♪
幼い頃、どちらを選ぶか迷った時に、つい口ずさんだ歌。
最近は歌うこともなくなった。
当たり前だが、成長につれ目の前の選択は、天に任せるほどたやすい問題ではなくなってきたということだろう。
ある企業家が「人生は大きな大きなあみだくじのようなもの」と講演で語っていたけれど、人生、選択の連続だと私も感じる。毎日毎日のこの瞬間が、まさに、あみだくじの分かれ道だといっても過言ではないかもしれない。
就職や結婚といった大きな分かれ道もあるし、今日のお昼はどこで食べようかとか、この会に参加しようかやめとこうか、今日は遅くまで仕事しようかすまいか、といった日常レベルのことまで。どちらにしようかという選択は限りない。
行くか行かないかの選択で、たまたま行かない方を選んだ為に、事故から免れるということもあろう。逆に、行く方を選んだ為に、人生最大のチャンスに出逢い、素晴らしく大きな変化を遂げるということもあろう。
ふだん私たちが無意識にしているその選択は、実はとても大きな意味のあることなのだ。
その一つひとつの選択に、一貫した原則を持っている人、いない人、まちまちではあるけれど、誰しも、どちらか"迷う"ということはある。重要な問題であればあるほど、選択は容易ではない。過去のデータやこれまでの経験、勘、他人のアドバイスetc、様々な方法で答えを探すけれど、考えても考えても、悩んでも悩んでも、結論が出ないということも、時として、ある。
そんな時、私はいつも原点に戻ってみる。
「もともと、私はどうしたかったのか」
「私は、何を望んでいたのか」
「私は本心で、これをやりたいのか」
心の奥底に問いかけてみる。
そして、最後にそれを選ぶのは、自分自身。
【gorap語録】
もともと、どうしたかったのか。答えはそこにある。
2002.08.21
■研鑽
凛とした美しさを感じさせる女性である。
いつも、どうしてこんなにイキイキと輝いているのだろうと不思議にさえ思う。キリッと知的で、それでいてあたたかい笑顔が眩しいその人は、経済新聞の読み方講師として活躍するキャリアウーマン。
定年退職して2年。在職中は、人事部の管理職として女子社員の育成に尽力し、社会保険労務士としても活躍。退職後は、ご自宅の茶室をオフィスに独立し、ビジネスマンやOL、リタイアメントシニアなどを対象にした幅広いテーマのセミナー講師として益々活躍中である。プライベートでは海外旅行を楽しみ、茶道をたしなみ、なんと、ジムにも通いレオタード姿でトレーニングもする!
年齢を感じさせない、凛とした美しさは、きっとその好奇心と行動力、チャレンジ精神からにじみ出るものだろう。
人の美しさとは、外見だけではないと、常々思う。
内面から溢れ出る輝きが、その人を美しく見せていることは、少なくない。そして、外見だけ美しい人は年と共に衰えるけれど、内面から美しい人というのは、年を重ねても変わらないと私は思う。
決して美人でなくとも、色白でなくとも、背が低かろうが、太かろうが、女も男も内面を磨いている人は、表情も引き締まり、美しく見えるから不思議だ。それこそが本当の美しさ、とも言えるかもしれない。
ともすれば、怠けがちな自分。
誘惑に負けて、つい楽な方へ流されてしまう自分。
そういえば最近、”自分磨き”してなかったなぁ。
美しい人に出逢うと、そんな反省のきっかけまでも貰えるから嬉しい。自己研鑽に励もうと、改めて心に誓った日であった。
【gorap語録】
美しさのヒケツ、それは中身を磨くこと。
2002.09.04
■覚悟
「SOHOで本当に食べていけるんでしょうか?」よくそう問われる。
私の仲間の中(私が知る限り)では、グラフィックデザイナー(40代・女)の1400万円というのが年収では最高である。
彼女の、デザインにかけるプロ意識は半端ではない。責任感は人一倍強く、クライアントの要求に応えるまで必要ならば何度も創り直し、徹夜を続けてでも期限までに必ずやりぬく。プロとしてのこだわりは強く、自らのデザインに自信をもっているので、納得いかなければ、きちんと価格交渉もする。だからと言って現状に慢心しているわけでなく、フラッシュの研修を受けに東京まで飛んで行くような、スキルアップも欠かさない努力家。
彼女は、大勢が集まる交流会に積極的に出向くほうではないが、適度に人と逢い、情報交換をしながら上手に新規顧客も開拓する。相手によっては価格にも柔軟に対応するなど、ビジネスセンスも持ち合わせており、趣味でゴスペルをやるなど、ストレス発散も上手い。
彼女に初めて逢った時、その目を見て、信用できる人だと直感的に感じた。そのくらい、真摯な生き方が表れている人である。人を大切にし、人を裏切らない人柄は、自ずと彼女の営業力となっている。
凄いスーパースターだ!と思ったかたはゴメンナサイ。SOHOで食べている者にとって、これは当たり前のこと。逆に言えば、SOHOで食べていこうと決意した者たちの努力は並大抵ではないということである。先に年収を例に挙げたが、本当のところは関係ない。たとえば家事や育児、介護等をしながら週に2・3日だけ仕事をして、年収200万から300万円を稼いでいるSOHOだって居る。
この人たちに共通しているのは、「やっていけるだろうか?」という疑問の前に「必ずやっていこう!」と覚悟を決めているということ。専門分野での技術はSOHOとして当たり前。その大前提の上で、技術やサービスをお金に換えるセンスを養い、自分の刃を研ぐことを怠らず、人から信頼されるだけの人間性を磨き、やりぬく覚悟を決めている。そんな人が、SOHOとして生き抜いている。
【gorap語録】
男も女も既婚も未婚も関係ない。要は、あなた次第。
2002.09.18
■信頼
先週末、オフィスの仲間の結婚式に参列した。チャペルでの式へ参列するのは初体験!TVドラマを見るような心境で、私はそこに居た。賛美歌の生歌に感動しつつ、神父の言葉に耳を傾ける。
「樫の木はいつまでも樫の木だし。杉の木はいつまでも杉の木のまま。決して、樫の木が杉の木になることは無いし、杉の木が樫の木になることもない。それが自然。
人も同じ。たとえ結婚しても、育った環境や経験が違うのだから、それぞれ違っていてあたりまえ。価値観が違ってあたりまえ。同じにはならない。」そんな話だった。
人は、つい自分を基準にモノを見る。誰しも自分と同じ価値観であると錯覚し、自分が正しいという前提でモノを言う。それはよく言えば「自分を持っている」とも言えるし、「頑固」とも言える。このこと一つ取り上げてみても、物事には必ず両面がある、ということがまた言える。正しいか、間違っているか、長い目で見たらそれは誰にも解らない。
ただ、信じる者が多ければ、それは正しいと言われる。
神父の言葉には続きがあった
。「喜び、苦しみ、悲み、恐れ、不安、それらすべてを伝えなさい。」樫の木と杉の木が、共に幸せに生きるには、各々の感情を素直に伝え合うことが必要。与え合うべきものは、愛だけではない。分け合うものはパンだけではない。全てを与え合い、分け合うことこそが、絆を深くするのだ。
「愛している」と言う言葉より何よりも、心開いて全てを打ち明けてくれる時こそが、きっと愛を感じる瞬間なのだ。
【gorap語録】
一人の人を信じることから、全ては繋がる。
2002.10.02
■責任
なんであんなことをしてしまったんだろう・・・。
理屈では説明しきれない、自分でも理解できないような行動をとってしまうことが、時としてある。
交通事故なんていうのもその類で、いつもなら絶対にそこでブレーキを踏んでいるものを、何故かその日に限って安全確認せずに突っ込んでしまって事故を起こしてしまった、ということがある。
仕事においても同様。
いつもなら絶対にそこで確認するのがあたりまえなのに、何故かその日に限って自己判断のみで進めてしまって大きな過ちを引き起こしてしまった、なんてことがある。
悪魔の囁きが聞こえてきて、いつもの自分では到底考えられない行動をとってしまう、そんな経験は、人間なら誰しもあることなのかもしれない。そして、誰だって自分が可愛いから、起こしてしまった事実や、目の前の辛い現実から逃げたくなるかもしれない。
その時の記憶がいっさい無くなる、という人さえいるくらいである。
しかし、自分一人で済むことならまだしも、それらは大抵、周囲をも巻き込む問題であるから、ただでは済まされない。
それをお金で解決したり、詫びの言葉を連ねたり、辞職することで、責任がとれるかというとそれも違う。これらは時として必要なこともあるが、単に、付随するものに過ぎない。
本当の責任のとり方・・・。それは、決して人のせいにすることなく、全ての責任は自分にあると認め、誰に後ろ指を指されようとも言い訳をせず、ただ黙って「申し訳なかった」と誠心誠意で応えること。そう私は思う。
行動により失った信頼は、言葉や他のものでは決して元どおりには出来ない。コツコツと地道に、誠意ある行動でまた培っていくしかないのだ。
【gorap語録】
窮地に立ったその人の「行動」、そこに真価が見える。
2002.10.16
■歯車
「なんで今日はこう、うまくいかないのかなぁ゛ーっ!」
何をやっても思い通りに進まないって日、きっと誰しもあるよね?朝から何だか煩わしい相談が入ってきて、イヤ?な気分になった日は、どうしてだか、立て続けに面倒なコトが起こったり。たまたまバスに乗り遅れたために、大切なタイミングを失ったと思ったら、続けて、いろんなチャンスを逃してしまったり。
仕事に限らず、人間関係においても同様で、一度壊れてしまった関係を修復しようと、もがけばもがくほど、ドツボにはまってしまう。なんて経験、きっと誰しもあるよね?
そんな時は、ヘタにあの手この手で攻めず、ちょっと深呼吸して空を見上げ、「ま、こんな時もあるさっ」と、つぶやいてみよう。人間、幸せ過ぎると却って怖くなって、「きっと今に良くないことが起こる」なんて考えてしまい、失敗や苦しみを引き寄せたりするものだと、昔、何かの本で読んだ記憶があるけれど、たまには、一見、不幸せ?な事に出逢うからこそ、人はきっと、幸せを感じることができるのだ。
ツイてない時は、気分転換に大好きな曲を聴こう。映画を見よう。ふだん行かない場所に出かけて行って、いつもとは全然違うものを見てみよう!
なんてコトをしているうちに、またラッキーに出逢えることもある。幸運の女神って、暗?い顔をした人のところには、来てくれないもの。辛い時こそ肩の力を抜いて、その状況を受け入れ、「そのうちまた、いいコトあるさ」と、気楽に構えたいもの。
かけ違えてしまった歯車は、少々のことでは、どうせ元には戻らないのだから。
諦めて、忘れたころに、また幸運の女神は近づいてくるもんです。
【gorap語録】
流れにまかせ、ふわふわするのも、必要だったりするのです。
gorap pick up!
【gorap語録】
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